Genelecスピーカーをいちはやく学術研究に活用
九州大芸術工学部の研究拠点「音響特殊棟」を訪ねて
世界的にも珍しい「音響」に特化した専門教育
九州大学芸術工学部のルーツは、芸術工学を研究する日本初の国立大学である九州芸術工科大学(九州芸工大)にある。2003年に旧帝国大学7校の一つである九州大学に統合され、九州芸工大の芸術工学部は九州大学芸術工学部に、同じく大学院芸術工学研究科は九州大学大学院芸術工学府となった。博多駅など福岡の中心部に近い、恵まれた立地の大橋キャンパスに研究室を構える九州大学芸術工学部「音響設計コース」の特徴について、尾本氏はこう説明する。
「我々の前身である九州芸工大には、1968年の創立時から音響設計学科がありました。音の文化から環境、信号処理、生理・心理までやる特徴的な学科として知られ、ここを目指して全国から多くの学生が集まってきました。心理音響の研究者で、亡くなられて久しい北村音壱先生が〈空間音響〉という言葉をずいぶん早くから提唱されるなど、多チャンネル・スピーカーを活用する研究の素地は昔からあったのです」
たとえば、1980年に建てられた「多次元デザイン実験棟」と称するホールには、64chのスピーカーが設置され、立体音響を実践する環境が整備されているなど、この分野での革新的・先進的な取り組みは多くの学生に薫陶を授けた。多チャンネル・スピーカーの学術研究活用はその後、尾本氏の代にも受け継がれることになる。
「2010年頃、東京電機大学の伊勢史郎先生にお誘いいただいて96chのスピーカーを装備した〈音響樽〉の研究に参加させてもらいました。こうした音場再生はなかなか面白くて、我々も独自のアプローチをしてみようと。そこで考えたのは、よりシンプルな24chのスピーカー・システムでした。24本のマイクで録って24台のスピーカーで再現する。24方向の響きで何かやってみようと始めたのは今から10年ほど前のことでした。こうした試みが現在取り組んでいるイマーシブ、つまり多チャンネルの音場再生に繋がっています。最終的に、いい音に繋がる課題なので、やっていて面白いですね。学生のモチベーションも高いですよ」(尾本氏)
資料によると音響設計学科では、物理音響・音環境・音響情報処理・聴覚・言語・音楽・音デザインといった7つの多岐に渡る領域で研究が行われているが、「音響」に特化した専門教育を受けられるのは日本で唯一。また、「音」をここまで総合的に学べるのは世界的にも珍しいという。音楽や音に関わる仕事がしたいとなれば、音楽大学や専門学校への進路が思い浮かぶが、音響の基礎から応用までしっかりと学びたいのなら、この学部は大きな選択肢になるだろう。
「研究室ごとに学部が違うくらい専門性に広がりがあり、現在の教員17名が各々の研究テーマに打ち込んでいます」(山内氏)
本学の大学院に進む学生も多いという音響設計学科の主な就職先について伺ってみると、ソニーやパナソニック、ヤマハといった電機メーカーや音響機器メーカー、楽器メーカー、そして建築メーカーや自動車メーカーなどが主な就職先となっている。また、エンタメ関連企業や放送局、スタジオに進むケースもあるという。
「音場再生」に活用されるGenelec
さて、ここ「音響特殊棟」には、「録音スタジオ」や「半無響室」「残響室」などの部屋があり、「録音スタジオ」と「半無響室」には、Genelecを中心としたスピーカーでアレイが組まれ、主にRMEのMADIシステムで制御されている。どんな研究が行われているのだろうか。
「ひとことで言えば〈音場再生〉のための設備です。例えば、ホールの響きをここでどう効率よくきれいに再現できるかというテーマでは、楽器の音をドライな状態で録音して、響きを別途付けることもやっています。残響を方向別に付加して、空間すべてを鳴らすようなサンプリング・リヴァーブの開発を目指したりしています」(尾本氏)
尾本氏によれば、これが開発されれば、ホールなどの音場をどんな空間でも再現できるという。
「例えばホールの親子室にこうしたシステムを持ち込めば、ホールの雰囲気をそこでも味わってもらえます。学問的にはあまり新しさはないのですが、そういう人の役に立つことを最近はよく考えています」(尾本氏)
「録音スタジオ」のデモでは、本学の学生によるヴォーカルをフロントのLRで再生し、残響(サンプリング・リヴァーブ)をサラウンド・スピーカーにアサインした「音場再現」を聴かせていただいた。「ステレオ音源(ヴォーカル)に24のインパルス応答をたたき込み、リアルタイムで鳴らしています。しかも、東京藝大のスタジオや九大の講堂など様々な空間で測定した響きを瞬時に切り替えて聴くことができます」(尾本氏)
一方、環境騒音の評価が専門で、自動車メーカーとの共同研究も多い山内氏の研究は、技術革新が著しい自動車内の音環境に関するものだ。
「自動運転が現実味を帯びてきたいま、クルマの中は情報量がものすごく増えていますが、ドライヴァーに情報を伝える視覚情報と合わせて大事なのが聴覚情報です。例えば非言語のエラー音などインフォメーション的な音をどうデザインすべきか。そんなテーマの基礎研究を行っています。簡単に言えば、どういう音にすれば〈危ない〉と感じるかということですね。自動車メーカー各社では、このような音についても車内の多チャンネル・スピーカーで制御しようという動きもあります。我々のグループでも運転行動における人間の生理・心理反応と音の定位の関係についての基礎評価をよくやっています。そのための実験にはスピーカーがたくさん必要なんですよ(笑)」
やはりフラットな特性が得られることが大事です
そうした用途を見据え、Genelecを選んだ理由とは何だろう? 現在、「録音スタジオ」にはGenelec 8331(21台)、サブ・ウーファー7360(2台)を、「半無響室」には8040(2台)と8020(24台)、サブ・ウーファー7050(2台)が導入されている。
「私が以前に関わらせていただいた日本音楽スタジオ協会ではエンジニアの方からお話を聞く機会もあったのですが、〈モニター・スピーカーと言えばGenelec〉という話はよく耳にしました。それはつまり信頼性が高く、〈音の物差し〉になり得るということです。安定して音が出せて、色付けが少ないのも大事で、実際に聴いてみて、個性が強すぎない点も評価できました」(尾本氏)
特性がフラットで、色付けが少ないことは、音の評価実験も行われる研究機関にとっても重要なポイントだったということだ。すでに多くのGenelecスピーカーを活用しているお二人に、導入後にあらためて気付いたメリットを伺ってみよう。
「どんな研究結果が出ても、それを発表する際にGenelecスピーカーを使っていることを明示すれば一様に納得してもらえる。そんなところでも信頼性があるなと実感します」(尾本氏)
「私の分野でも、やはりフラットな特性が得られる再生系であることが大事です。被験者に何を聴かせていたのかという意味では、Genelecのシステムなら変な特性がかかっていないことが分かります。尾本先生もおっしゃるように、ブランド名で信頼してもらえるのは大きいと思いますね」(山内氏)
ところで、ここ「音響特殊棟」には新旧様々なGenelecスピーカーがある。
「ある意味、これが研究の歴史です。研究費が取れた時に導入していますから(笑)」(尾本氏)
お話によると、国立大学という性質上、研究に用いる機材は一度購入すれば、ある程度は長く使用する必要があるそう。その点、サステナビリティを重視するGenelecは、旧モデルでも修理・メンテナンスの体制が充実している。堅牢な造りのGenelecスピーカーだが、故障した際はそれが生産中止後でも多くの場合、国内販売品であれば販売代理店を通じて専門的な修理サービスが受けられるのはユーザーとしては心強いところだ。
精密な音場再現を目指す場合、音源が1ポイントになることで理論的にも検証しやすく、計算も合いやすい
先述のとおり、ここではGenelecのポイントソース・モニターThe Onesも多数導入されている。新しいプロダクトの使い勝手はいかがだろうか。
「現在取り組んでいる音場再生には同軸スピーカーがより適していると考えて同軸スピーカーであるThe Onesを揃えましたが、やはりいいですね。〈録音スタジオ〉で8331を21台、その他にも8351など、異なるサイズのThe Onesが稼働しています。Genelecは1038という大きなモニター・スピーカーも使っていますが、これと比べても8331は元気のいい音がします。低域もしっかり出ています」(尾本氏)
コンサート・ホールというシチュエーションではVIPルームを別途あつらえるというアイディアも出ているそう。ホールと同等、あるいは、S/Nなどの意味では、もっといい音で聴ける可能性もあるという。
「それには映像情報も必要になるわけで、24chのスピーカーと360度の円筒スクリーンと組み合わせてやったこともありますが、実に効果的でした。映像の制作はなかなか大変ですが、本当にすごい体験でしたね」(尾本氏)
補聴器のような直接的なものとは異なるが、間接的に人のためになる、「音響福祉工学」とも呼べる取り組み−−−つまり「音は人のために何ができるか」という問いを常に意識して,九州芸工大時代からの理念である「技術の人間化」を大切にしているというお二人の話は、「音響」の一般的なイメージを超えて私たちの文化や生活の近未来を明るく照らす。その指導の下、音響を基礎から学んで思い思いのテーマを見つけて深掘りし、同大学・大学院を巣立った彼ら彼女らが様々なステージで音響のエキスパートとしてその成果を社会に実装し貢献する。そんな頼もしい姿が目に浮かぶ訪問取材だった。
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